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上杉文華館「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」

2018年度の上杉文華館は、「初公開 上杉鷹山関連および幕末・明治期資料」をテーマに国宝を中心としたゆかりの文化財、貴重な史料をご覧いただきたいと思います。

 

【展示期間】平成30年11月29日(木)〜平成31年1月6日(日)  

 

《第9回 米沢藩の人事》

国宝上杉家文書の近世文書には上杉鷹山周辺の多くの内政文書や幕末・明治期資料が含まれています。今回は、米沢藩の奉行(国家老)と郷村頭取という重責を担ってきた莅戸九郎兵衛政以の死去に伴う後任人事と二〇年にわたり上杉治憲(鷹山)の小姓頭を勤めた深沢嘉平太昌郷の死去による後任人事について、大殿様鷹山と一一代藩主上杉斉定の書状を紹介します。

上杉鷹山の藩政改革の中で、人材の育成と適材適所の登用も評価されます。しかし、才能のあるものが誰でも高いポストにつけたわけではありません。封建社会には厳しい身分制度がありました。鷹山もこれを無視した人事は行っていません。米沢藩の家臣団は上・中・下の武士団に分けることができます。上級武士にあたる侍組はかつて越後や北信濃の在地領主であった者たちで、最終的に九六家でした。その中で奉行の要職につける家は分領家と呼ばれ本庄・長尾・中条・千坂・色部・毛利・竹俣・市川・島津・清野・平林・竹俣・広居の一三家に限られていました。

莅戸家は馬廻組という中級武士の家柄で奉行職にはつけない家でしたが、政以の父、善政が鷹山の片腕として藩政改革を牽引しました。鷹山の隠居とともに善政も一度退きましたが、寛政三年(一七九一)の再出勤に際し中老職に任じられ、その後郷村総頭取、奉行職に登りつめました。定められていた身分制度の中で莅戸家は唯一の例外でした。藩政改革を進める中で、鷹山と執行部にとって得難い人材であったのです。政以もその父の業績を引き継ぎ米沢藩の重鎮となっていました。長文の遺言書を残して世を去りました。

 また、紹介する文書から大殿様鷹山(九代藩主)、中殿様治広(一〇藩主・二の丸)と藩主斉定の関係が見て取れます。鷹山の実子顕孝亡き後、世子となった斉定は鷹山と起居を共にして藩主としての心得を身につけていきました。藩主となった後も人事に限らず鷹山に相談しています。これに対して鷹山は結論を押し付けず、考えや例を述べて判断を斉定とその執行部に委ねるのが常でした。また、鷹山も斉定もそれを二の丸にいる治広に相談、報告するなど情報を共有するという最も理想的な政治が展開していました。

 

また、織田信長が謙信に贈った狩野永徳筆の国宝「上杉本洛中洛外図屏風」は、複製(2作目=複製B)となります。

 

▼ コレクショントーク

  平成30年12月1日(土)

  14:00〜

  場所: 常設展示室 上杉文華館

  ※入館料が必要です。

 

皆さまのご来館を心よりお待ちしております。

 

【お問い合わせ】

米沢市上杉博物館  0238−26−8001

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