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契約壇の石塔
けいやくだんのせきとう
永正6年(1051)奥州出羽の領主安倍頼時朝廷の北進に反抗したため、鎮守府将軍八幡太郎義家父子(ちんじゅふしょうぐんはちまんたろうよしいえふし)により鎮圧された(前九年の役)安部一族の渡会弥三郎明宣(あきのぶ)は平方城に居城していたが、落城のため弥三郎は生き残った武士達と御家再興(おいえさいこう)を祈願したが、後に弥三郎病死のためその夢破れ60余名の家来武士たちは、主君の墓前にて自害した。この場所が契約壇である。爾来無縁仏(じらいむえんぼとけ)となっており霊魂成仏(れいこんじょうぶつ)できるよう壱塔を建立したものである。
infomation
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- 名称
- 契約壇の石塔
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- 所在地
- 高畠町大字一本柳舘ノ内 [MAP]
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- お問い合せ先
- 屋代地区公民館
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- 電話番号
- 0238-52-0069
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- FAX番号
- 0238-52-0069
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