畑谷城跡(はたやじょうあと)
義光は、置賜・下長井地方に通ずる要衝の地である畑谷に、家臣である江口五兵衛を配置して置賜との境を守らせていました。
江口氏は東黒森山の尾根続きの館山に山頂を本丸として、各所に空堀を配した山城を築き、その任にあたりました。
直江軍は主力約2万を率いて荒砥から進撃し、山形城を目指して途中の畑谷城に迫りました。
旧暦の9月13日早朝、江口氏は手勢を指揮して迎え撃ちましたが、約二時(4時間ぐらい)の戦いで敗れて自刃して落城しました。
直江兼続は撫で斬りを命じて500個余の首を取ったと手紙で伝えています。
→「畑谷城」周辺のムービーはこちら
史跡マップ>>こちら
2008.05.25:[戦国観光やまがた情報局(test)]
畑谷城趾より山形城を望む
国の境を守る要塞
城山の全体像
「直江兼続VS最上義光」〜決戦!出羽の関ヶ原・慶長出羽合戦
このサイトは2009大河ドラマ「天地人」の放送を記念して山形市が制作し..
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山城の遠景
山形城から真西に16キロ、白鷹丘陵の深い山の中、畑谷と簗沢の小さな盆地の間に立つ館山が城の跡。
館山山頂は標高549メートル。
畑谷から見ると、高さ70メートルほどの低い丘ですが、簗沢から見ると170メートルの高低差があり、かなり高い山となります。