義光被弾の地(よしあきひだんのち)
旧暦9月29日。
関ヶ原での西軍敗北の報せを受け、直江軍は直ちに総退却となりました。
この時の富神山周辺での乱戦で義光の兜に敵弾が命中、今もその跡が生々しく残されています。
戦死者は直江軍1600ー最上軍600。
史跡マップ>>こちら
2008.05.25:[戦国観光やまがた情報局(test)]
「直江兼続VS最上義光」〜決戦!出羽の関ヶ原・慶長出羽合戦
このサイトは2009大河ドラマ「天地人」の放送を記念して山形市が制作し..
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敵弾の跡を残す「三十八間金覆輪筋兜」
最上家に伝わる義光愛用の兜。
織田信長より拝領したと伝えられています。
敵将直江兼続の鉄砲隊から狙撃され、命中。
しかし、この兜のおかげで命が助かりました。
兜は篠垂(しのだれ)一条(いちじょう)が失われ、激戦を物語る弾痕がいまも生々しく残されています。