勝天36 『これぞ天下の上杉節 5番』
景勝 「いよいよじゃな。」
兼続 「はい、最後の5番でございます。」
・・・これぞ天下の上杉節 5番・・・
吾妻の峰に茜さす
竹に雀の紋どころ
つたえてここに十三代
上杉文化の花ひらく
兼続 「関ヶ原での西軍の敗戦を受け、上杉家は不幸にも負け組になってしまいました。」
景勝 「家康に反旗を翻したため、わが上杉家は、お家断絶になりそうだった。お家存続のため、そなたには苦労をかけたな。数々の交渉には感謝しておるぞ。」
兼続 「会津120万石から米沢30万石への移封で、なんとか済みましたな。」
景勝 「なんとか、お家存続したもののそのあとが大変じゃった。」
兼続 「歌詞に出てくる吾妻連峰は、米沢盆地の南側に位置します。」
景勝 「小野川温泉も吾妻連峰からの伏流水が、原料だそうじゃ。」
兼続 「竹に雀の紋どころは、言わずと知れた米沢藩の家紋です。」
景勝 「謙信公が、上杉憲政どのから関東管領職とともに譲り受けた家紋じゃ。」
兼続 「描かれた雀のくちばしは、片方が閉じ、片方が開き、あうんの呼吸を表しています。残念ながら、画像の雀はそうなっていませんが・・・。^^;」
景勝 「謙信から引き継いだ竹に雀の家紋を掲げ、米沢藩の礎を築いた わしは、1623年に病死した。」
兼続 「以後、米沢では13代、270年の上杉支配が続きました。」
景勝 「中興の祖・上杉鷹山は、名君とたたえられ、民を愛し改革を実行した政治手腕はアメリカ大統領など世界の政治家にまで響き渡っておる。
平成の世にあっても、上杉文化は人々の暮らしに多大な影響を与えているそうじゃな。」
兼続 「はい。われらの時代に行った堀などの水利事業や土木事業。今も米沢の未知や水路は当時のものが多く使われております。
食料に困らないようにと植えた果樹栽培の奨励。
昔、武家屋敷だった地域には、今も栗や柿の木が多く見られます。
日本酒の酒蔵・東光は、景勝が米沢に移り住む前から米沢で酒造りをしており、米沢藩の御用酒屋として栄え、伝統の味を伝えています。
また、越後時代の特産だった青芋(あおそ)を原料とした縮織(ちぢみおり)は米沢でも行われました。」
景勝 「原料を変えて今も伝わっておるそうじゃな。」
兼続 「はい、上杉鷹山の時代には、養蚕(ようさん)・絹織物へと織物業が進化しました。
さらに、屋敷の周りには新芽を食べられる「うこぎ」の垣根を植えさせ、食べられる山野草をまとめた「かてもの」という本を配りました。
また、福島県の相馬地方から稚魚を取り寄せてはじまった鯉の養殖は、冬場の蛋白源を確保するのに役立ちました。」
景勝 「鷹山は、藩財政の悪化を食い止め、飢饉の際に1人も餓死者を出さなかったそうじゃな。」
兼続 「はい、他にも、鷹山は、相良人形の製造や藩校・興譲館の開校、それまで原料として出荷していた漆・こうぞ・藍・紅花の製品化など、様々な事業を行いました。」
景勝 「小野川温泉の温泉水から塩を製造したのも、鷹山じゃな。」
兼続 「現在、米沢の特産物といえば、『ABC』です。
APPLE りんご。
BEAF 米沢牛。
CARP 米沢鯉。
われらが奨励した果樹栽培が、のちに りんご栽培へとつながりました。
興譲館に招いた外国人英語教師のクチコミから米沢牛は広まり、今ではトップブランドとなりました。
お城の堀で養殖がはじまった鯉は、今も冠婚葬祭になくてはならない料理になっています。
ABCのいずれも米沢藩の歴史に基づき、発展していることがわかります。」
景勝 「うむ。こうしてみると、これぞ天下の上杉節は、米沢の文化をよく表しておるのぉ。」
兼続 「左様でございます。これは、さながら米沢の歴史の教科書でございますな。」
鈴鳴草子 〜鈴の宿 登府屋旅館〜
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