あやめ公園の成り立ち 5
戦後、あやめ公園の復興に力を注いだ長井では、大きな転機を迎える・・・・ その歴史をたどってみよう。
戦争で荒れ果てたあやめ公園を、多くの人々の協力で徐々に蘇る。昭和29年にはあやめ会館を整備し、同年1町5カ村が合併、長井市が誕生する。そして、公園にとっては大きな転機を迎える昭和37年。
現在の花菖蒲の元と考えられている「長井古種」が発見された
日本花菖蒲協会の井上清会長、田阪美徳副会長、此田光助副会長をはじめ、三十余名に方々が、長井あやめ公園に観察旅行で訪問された。それは昭和37年7月4日のことである。前日の7月3日には、長井あやめ鉢作り展示会の出品作220余鉢の審査会も行われた。その当夜の懇親会の席上で、地元愛好会から「ぜひ、今一度公園をご覧いただき、特色花を一品、記念に選出していただきたい」と申し出た。翌7月4日、三鹿野季孝、岩鶴一良、後藤和三郎、平尾秀一の各氏をあやめ公園に案内する。暑い一日であった。午後の酷暑の中で「珍しい花がある」「何種というのだろうか」「他所にはない花だ」との声が聞こえた。そこで花銘を着けていただくようお願いしたところ、先生方の協議の結果「長井古種」花銘「野川の鷺」で意見の一致をみたのであった。
長井古種の誕生である。トップに用いた写真こそ「野川の鷺」で、命名第1号である。そして三十数種の長井古種が発見されるが、それまで多くの品種が植栽された「あやめ公園」が、長井古種の発見で、希少種の江戸系古花よりも古い品種を保存している「あやめ公園」として生まれ変わることとなり全国に知られるようになった。
昭和37年7月3日朝 はぎ園 日本花菖蒲協会の記念撮影
読みもの長井物語
(一財) 置賜地域地場産業振興センター
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