長井の幕開け 最上川舟運3
元禄7年9月(1694)、西村は米沢米一万三千七百俵の大量輸送を請け負うこことなるが、米は宮村から船積みされて酒田まで送られ、酒田から廻船にのせられて江戸に輸送された。宮村から酒田までの運賃は、米百石に対し「銀538匁6分」。酒田から江戸までの東廻り航路運賃は「銀780匁」、西廻り航路運賃は「銀1貫616匁4分」であった。久左衛門は、米の輸送だけでなく、江戸における一手販売までを請け負い、大きな利潤を上げていった。
小出村絵図 宮上米蔵 中央
米沢藩と久左衛門との間には輸送契約が取り交わされ、「領内の舟破損は藩の弁損、運賃は久左衛門の弁損」、「大瀬から酒田までの川通りの破船は一切を久左衛門が弁済」などとなっていた。
黒滝開鑿した元禄7年から15年後の宝永6年(1709)、久左衛門は最上川航行権はもとより船運に用いていた各所の倉や手船48艘、船具など一切を藩に没収される。その理由は明らかにされていない。1万7千両もの私財を投じた久左衛門の舟運事業は、たった15年で終焉を迎えた。以降、船運は藩直轄となっていく。
松川船運屏風 部分 上米御蔵
※写真はいずれも長井市史から
読みもの長井物語
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