昭和の長井 1
元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌し、。大正期を経て昭和に入る。舟運で培ったエネルギーが昭和となり、どのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。
大正15年12月25日 |
昭和となる |
昭和元年
| あやめ公園に掛小屋がかかる |
昭和2年1月4日
| 佐藤鶴吉が西置賜郡長から長井町長に転出。 |
昭和2年2月
| 山形交通自動車会社創設、郡内に乗合バス走る |
昭和2年3月5日 |
中道の火葬場(匿名組合)の権利と設備を買収して町営とする
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昭和2年4月25日
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昭和自動車会社設立。4月に長井線東廻り線、5月に宮宿線、9月に西廻り線を運行
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昭和2年5月17日
| 米沢営林署長井支所設置 |
昭和2年5月 | 町営電気事業が好転、あやめ、つつじ両公園と市街要所に50燭光域あるいは100Wの高燭電気灯設置
つつじ公園の七兵衛つつじ
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昭和2年6月10日
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日米親善のためアメリカ人形を長井小学校に寄贈、歓迎会を開く。
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昭和2年7月9日 |
西置賜郡飛行大会。県立長井中学校校庭で挙行。当地方初の飛行
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昭和2年9月10日
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松川橋竣工式挙行、渡部佐与吉夫婦渡り初め
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昭和2年10月11日
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橋田栄助が太陽自動車学院、トラクッタ興行社開設 |
昭和2年 |
桑島眼科医院建つ
棟上げ
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昭和3年1月
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太陽自動車学院、新校舎に移る
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昭和3年7月12日
| 谷地橋竣工。請負者加藤久八。 |
昭和3年夏 |
ときわ館開館(第7ときわ館)。今泉に第八ときわ館が昭和7年。第八ときわ館は昭和18年閉じる。
写真は昭和61年撮影 昭和63年に閉館
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昭和3年9月
| 長井変電所設置 |
昭和3年10月10日 |
荒砥・沖郷・赤湯の三銀行合併し羽前銀行となる。長井支店が宮境町西1 460番地2(現NTT敷地)に設置。建物は戦中、西置賜商業統制組合が入り、昭和26年には同組合が清算解散、3月に置賜信用組合が入る。昭和28年秋、建物は「長井町境町東1 421番地(現NTT真東)」に曳き移転し、置賜信用組合は昭和42年まで引き続き使用した。
写真は置賜信用組合入居時のもの
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昭和3年12月
| 長井公立病院組合設立。一町五カ村の共同伝染病院 |
昭和4年2月
| 萩公園開園。安部林蔵氏。当時はあけぼの園。 |
昭和4年3月1日
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長井公立伝染病院落成
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昭和4年3月10日 |
長井税務署登場町通り(現小桜館南)に新築、開庁式を行う。
町勢要覧から
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昭和4年5月24日
| 大出水、白川橋大破。長井橋東部流失 |
昭和4年7月
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長井高等女学校寄宿舎落成 |
昭和4年7月3日
| 山形県料理業大会、長井で開催 |
昭和4年7月26日
| 中伊佐沢愛宕山で雨乞い祈祷 |
昭和4年9月15日 |
松ヶ池公園に八千代橋竣工、渡り初め
渡初め後の記念写真
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昭和4年12月31日
| 羽陽銀行設立 |
昭和4年12月26日
| 長井公立病院落成式 |
読みもの長井物語
(一財) 置賜地域地場産業振興センター
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