昭和の長井 2
元禄7年(1694)に最上川舟運によって宮舟場が設置されて以来、飛躍的に商人町へと変貌し、。大正期を経て昭和に入る。舟運で培ったエネルギーが昭和となり、どのように長井は変わっていったか、年譜形式で紹介する。
昭和5年4月21日
| 久保桜観桜会、長井駅から乗車始めて出る。 |
昭和5年5月4日
| 森鉱泉開湯。森の湯という |
昭和5年7月5日 |
佐藤町長があやめ公園の拡張(二町歩)、施設の整備、花園の研究等を中央に依頼し着々実施する。当時種数2000種、遠く北海道・広島・京都から移植。面積2町歩となる。 中央噴水と池も整備
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昭和5年8月15日 |
山形新聞主催の山形県名勝推薦コンクールであやめ公園が名所の部・第一位となる。投票数158,723票。記念碑も建立した
現在は石柱上部の灯具が欠落している
昭和5年8月3日の山形新聞
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昭和5年9月29日
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自治功労者横山孫助の胸像、役場前に建つ。除幕式を行う。
役場正面右側に建立。現在はつつじ公園に |
昭和5年10月1日 |
長井線のマッチ箱といわれた旧式四輪車を廃し、ボギー車となる。
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昭和5年10月1日
| 第3回国勢調査。西置賜の人口76667人 |
昭和6年
| 長沼孝三、帝展に「インテリゲンチャ」、初入選 |
昭和6年1月31日
| 二重坂掘り下げ起工式を行う |
昭和6年2月 |
長井町役場前にカフエー第一号のコマドリが営業開始。以降、8年には東町にグリーン、大町にホンギリ、新栄町にクローバー等が営業。
グリーンホール
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昭和6年4月21日
| 久保桜で夜間点灯を始める。 |
昭和6年6月28日
| 長井高等女学校創立10周年記念式を行う |
昭和6年8月10日
| 米坂線今泉・手ノ子間開通 |
昭和6年12月7日
| 大石、桜橋(逆川橋)竣工 |
昭和6年12月12日 |
長井大橋・長井橋竣工式行う。鉄橋。ワーレン式トラス四連で天野組請け負う。工費15万円余。渡り初め
長井大橋の渡初め記念写真
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昭和6年12月30日
| 撞木橋開通、渡り初め |
昭和6年 |
小池医院建つ
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昭和7年3月
| 左荒線期成同盟会結成 |
昭和7年4月2日
| 遍照寺焼失
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昭和7年7月
| 長井郵便局庁舎、同じ場所に改築
電信部 電話の事業も行っていた
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昭和7年9月10日
| 米沢工業試験場長井指導所が西置賜郡販売購買利用組合敷地に竣工。長井繭市場で竣工式。79坪。昭和39年、分場廃止により米繊工試から長井市に返納された |
昭和8年 |
あやめポスター。作者は長井高等女学校の浦とし先生
運輸事務所の制作 各駅に貼られた
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昭和8年6月17日 |
山形新聞紙上で長井音頭、長井小唄の歌詞を募集。町内レコード屋多田野、青木両氏が東京に依頼作曲して売り出す。町費1200円の補助。
発表会 演芸館で
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昭和8年6月22日 |
あやめ公園入口に、堂々たる偉容を誇る「あやめ会館」が建つ。この名称は公募によるもの。高橋忠吉入選、賞状と米一俵を贈る。この会館は、昭和18年に東芝長井工場に売却、事務室となる。
高台南に。道路側の写真
右側が高台面 町勢要覧から
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昭和8年6月24日
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長井駅前道路舗装。初めての舗装道路。完成してスズラン灯も点火された。
奥が長井駅
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昭和8年8月9日
| 長井銀行が羽陽銀行に買収される |
昭和8年8月11日
| 羽陽銀行長井支店設置 |
昭和8年11月 |
あやめ公園にグリーンホール3階建てができる
あやめ公園高台下西に 1階はカフェ 2階と3回は座敷
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昭和8年8月22日
| 長井小学校校舎1棟(第1校舎)竣工 |
昭和8年11月10日
| 米坂線手ノ子・沼沢間開通 |
昭和9年6月30日 |
長井小学校工事竣工
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昭和9年9月
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東北地方大凶作 伊佐沢村役場に「娘売ります相談所」開設
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昭和9年10月1日 |
羽陽銀行長井支店が新築移転
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昭和9年12月7日
| 凶作応急対策で土木事業、北台・水上線工事 |
昭和9年12月7日
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長井町は、凶作応急対策として土木事業を企画。北台・水上線工事施工。
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昭和9年
| 米沢でプレザン錦紗開発、米織生産高10倍に |
昭和9年
| 長井町最上川堤防左岸築堤 |
昭和9年6月2日
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長井町要覧発行。町営電気創業、長井線鉄道創業20年を祝って
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昭和9年 冬
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伊佐沢村の「娘売り防止」の張り紙が全国の話題を呼ぶ
防ぐための相談所
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読みもの長井物語
(一財) 置賜地域地場産業振興センター
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