これぞ天下の上杉節 5番
吾妻の峰に茜さす
竹に雀の紋どころ
つたえてここに十三代
上杉文化の花ひらく
上杉家 家紋 竹に雀
関ヶ原での西軍の敗戦を受け、上杉家もまた負け組になってしまいました。
兼続は、上杉家を存続させるため、様々な手を尽くします。
家康に反旗を翻すというお家断絶でもおかしくない状況のなか、1601年に会津120万石から米沢30万石に移封されます。
吾妻連峰は、米沢盆地の南側に位置しています。
吾妻の山々は、現在も当時のまま米沢盆地を見守り、春には清冽な雪どけ水を流してくれます。
竹に雀の紋どころは、米沢藩の家紋です。
長尾景虎(のちの上杉謙信)が、関東管領だった上杉憲政から関東管領職とともに譲り受けた家紋です。
描かれた雀のくちばしは、片方が閉じ、片方が開き、あうんの呼吸を表しています。
残念ながら、画像はそうなっていませんが・・・。^^;
謙信から引き継いだ竹に雀の家紋を掲げ、米沢藩の礎を築いた上杉景勝は、1623年に病死。
以後、米沢では13代、270年の上杉支配が続きました。
中興の祖・上杉鷹山は、名君とたたえられ、民を愛し改革を実行した政治手腕はアメリカ大統領など世界の政治家にまで響き渡っています。
平成の世にあっても、上杉文化は人々の暮らしに多大な影響を与えています。
景勝・兼続時代に作られた堀などの水利事業や土木事業。
食料に困らないようにと植えた果樹栽培の奨励。
昔、武家屋敷だった地域には、今も栗や柿の木が多く見られます。
日本酒の酒蔵・東光は、景勝が米沢に移り住む前から米沢で酒造りをしており、米沢藩の御用酒屋として栄え、伝統の味を伝えています。
また、越後時代の特産だった青芋(あおそ)を原料とした縮織(ちぢみおり)は米沢でも行われました。
さらに、上杉鷹山の時代には、養蚕(ようさん)・絹織物へと織物業を進化させ、現在にも伝わっています。
屋敷の周りには新芽を食べられる「うこぎ」の垣根を植えさせ、食べられる山野草をまとめた「かてもの」という本を配りました。
また、福島県の相馬地方から稚魚を取り寄せてはじまった鯉の養殖は、冬場の蛋白源を確保するのに役立ちました。
鷹山は、藩財政の悪化を食い止め、飢饉の際の食糧確保をすすめました。
他にも、鷹山は、相良人形の製造や藩校・興譲館の開校、それまで原料として出荷していた漆・こうぞ・藍・紅花の製品化など、様々な事業を行いました。
小野川温泉の温泉水から塩を製造したのも、鷹山公でした。
現在、米沢の特産物といえば、「ABC」です。
APPLE りんご。
BEAF 米沢牛。
CARP 米沢鯉。
景勝と兼続が奨励した果樹栽培が、のちにりんご栽培へとつながりました。
興譲館に招いた教師のクチコミから米沢牛は広まり、今ではトップブランドとなりました。
お城の堀で養殖がはじまった鯉は、今も冠婚葬祭になくてはならない料理になっています。
ABCのいずれも米沢藩の歴史に基づき、発展していることがわかります。
今回、なんとなくはじめた上杉節の解釈ですが、米沢の歴史・文化・風土をめいっぱい盛り込み、味わい深い詩だと痛感しました。
そして、なにより米沢には深い歴史と伝統があり、知らず知らずのうちにもその恩恵に預かっていることがわかりました。
全5回の長文におつきあいくださり、どうもありがとうございました。
鈴鳴草子 〜鈴の宿 登府屋旅館〜
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